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ひとつあがりのカフェテラス

古代日本、いわゆる神代の時代、日本の真の姿が知りたくて、神社伝承を追い求めています。

7.宇佐市安心院町の佐田神社② 

 佐田神社の由緒について、境内に立てられている説明板を見てみましょう。

『佐田神社』
 祭神は武内宿禰(たけうちのすくね)・素盞鳴尊(すさのをのみこと)・大山祇命(おおやまつみのみこと)で昔は善神王宮と称し、佐田郷の総鎮守社でありました。鎌倉時代に大友能直によって再興され、以後正中2年(1325)安心院公、文正元年(1466)宇都宮大和の守、文亀3年(1503)に検断所により再興されています。
 神殿は元治元年(1864)に改築し現代に至っています。
 境内には、県指定有形文化財の板碑や、幕末に賀来一族が建設した反射炉の祈念碑や、反射炉に使用した耐火レンガによる塀、大分の先哲帆足万里の書を刻んだ両部鳥居があります。
 この神社の東にある標高309メートルの青山は、中世 佐田氏の山城で、県内屈指の規模を誇る町指定の史跡です。境内は、この佐田氏 居館跡の推定地の一つとされています。(安心院教育委員会)

  説明板に書かれている祭神について、佐田神社の明細帳で確認しときましょう。

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 神社明細帳は明治期に作られた神社の台帳なのですが、原本のコピーを綴ったもので、中にはコピーの状態が良くないページも見受けられます。
 佐田神社のページも判読し難い箇所がありますし、元のページに、何かしら、紙片が貼り付けられているようで、全体としてスッキリしません。ですが、祭神の箇所を目を凝らしてよく見ると、「武内宿祢」に続いて、小さく、「小一郎霊」「素盞鳴男尊」「大山祇」の三柱の祭神名が確認できます。さらに、由緒から拝殿までの項目の下の部分に、何やら小さな文字で由緒のようなものが書かれているようですが、残念ながら、今ひとつ、判読不能ですね。

 では、それぞれの祭神について、よく見ていきましょう。

  「武内宿禰」について百嶋先生は(「肥後翁のblog」から転載)

 武内宿禰さんは系統的には本物のイスラエル系統です。ところが胤は、九州王朝の系統です。武内宿禰の紋章は天皇家の紋章、五七の桐です。本当の孝元天皇のお子さんです、そして、武内宿禰さんが今最も安住の地としているのは因幡の国の一の宮、宇倍神社、大きくはありませんが、武内宿禰公にとってはもっとも安住の国です。


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と話されています。
 さらに、
 武内宿禰の役割は九州王朝の隠密として行動されています。ところが歴史には全く違うことが書いてありますね。あくまでも武内宿禰は先祖が悪いことをやったから、先祖というのは長髄彦のことです。長髄彦が神武天皇と喧嘩したもんですから、名誉回復のためにあの一族は、即ち、イスラエル系の人々は、一族を上げて天皇家のために尽くしたんです。
 そして名誉を回復しました。最後に名誉を回復した花形スターが武内宿禰です。決していろいろ書いてあるような身分ではありません。九州王朝の隠密なんです。しかも、天皇の御子なんです。
とも述べられています。
 
 武内宿禰については、多くの古社でも祭神として祀られているのですが、例えば、高良大社の祭神「高良玉垂命」に武内宿禰説が登場しているように、その実体?と言いますか、正体については、どうも不鮮明なようです。果たして、いずれの神社も創建からの祭神だったのでしょうか?
 やはり、百嶋先生が話されているように九州王朝の隠密であったような気がしますね。

 また、「善神王」については、安心院町誌によると、安心院町大字今井に鎮座する今井神社の鳥居にも見られるそうで、「ぜぜのさま」のことであり、仏教保護の神であるとしていますが、宇佐神宮の境内末社としても善神王(ぜじんおう)神社が鎮座されており、そこでは高良大明神と阿蘇大明神の二神が御門(勅使門)の神としてお祀りされています。
 そう言えば、当神社の御神輿は宇佐神宮からのものだと氏子の方のお話にありました。古来から、ここ安心院地域と宇佐神宮の結びつきは強かったようですね。
 
 あるいは、また、「是善」は菅原道真の御父の名前でもあり、善神王との関係が気になりますが、ここのところは良く分かりません。
 
 本殿の扁額には「善神王宮」の文字が…
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 「小一郎霊」については、「佐田地区まちづくり協議会」のHPに掲載されている「小一郎信仰」の解説を紹介しましょう。

小一郎信仰】
 国東半島を中心として、西は福岡県の 山国川 流域から南は 大分川 北岸にかけて分布するコイチロウ神は、熊本県の数例を除けば、本県だけに存在する特異な神である。
 大部分は社殿をもたない石祀で、なかには大木の根元や小一郎薮の中に、御神体が露出しているもの、森のみで御神体のないものもある。小一郎森の木を切ると祟られるというので聖地とされ、薮になっていることが多い。
 神名には小一郎、小市郎、今日霊、古市老、魂市郎、濃血霊、千人霊など様々なあて字が使われている。小市郎信仰の実態と性格については、調査地域の違いによって見解が異なっている。下毛郡から宇佐市郡にかけては、歴史上実在の 新田 義氏(よしうじ) に仮託して、御霊神的性格が強いが、豊後では祭神の由緒が忘れられ、先祖神ないしは屋敷の守護神とされている。

 それから、「素盞鳴尊」は佐田大神(=大山咋(オオヤマクイ))の祖父に当たると同時に、大山祇と大幡主の妹(埴安姫(草野姫))の間に生まれた神大市姫(=罔象女神(みつはのめのかみ))の入婿になっています。なので、素盞鳴尊と大山祇が同時に祀られていることについては、それほど不自然ではないのかもしれません。

 また、大山祇(=月読尊)には越智族と書かれていますね。この越智族について、百嶋先生は、

 それから、大国主のミコトの御紋章は、これは大国主と申しますよりも瀬戸内海の大三島神社をお参りになったら、隅切り角、これが大山祇神の蒙古系統の御紋章です。この神様は、蒙古系統ですけれど、蒙古系統以前はトルコ人です。だから、トルコ人改め蒙古人改め、どこどこ人改め、日本人と変わります。今、途中でどこどこでごまかしましたね。どこどこは朝鮮半島です。これについてふたつ申し上げます。最初、この方のどこどこの発祥の地は金官伽耶、釜山の左、金海(キメ)という市があります。後々の伽耶連合の中心地です。この金海市において、大国主のミコトのご先祖の金さんは発生されました。但し、発生したといっても、蒙古におられるときから金さんは金さんです。ここで名前を上げられたということです。
と、述べられています。

 何となく佐田周辺の蒙古系の遺蹟群と重なってくるようですね。

 そして、境内社。
 境内社には何やら、壱社「巨鳥神社」と書かれているようですが…。

 
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 拝殿
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 精微な彫刻が随所に施されている本殿
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 拝殿内にずらりと飾られている絵板・絵馬
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 拝殿-申殿-本殿
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 本殿・脇障子の彫り物
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 本殿正面の彫り物
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 雲の上に乗っている神様は位が高いそうです。
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 本殿裏:反射炉に使用した耐火レンガによる塀
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 本殿横の鳥居
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Posted on 2016/09/11 Sun. 15:11 [edit]

category: 日記・古代史

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