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ひとつあがりのカフェテラス

古代日本、いわゆる神代の時代、日本の真の姿が知りたくて、神社伝承を追い求めています。

1.神武天皇伝承の検証 神武天皇と金山彦尊をお祀りする「伊勢本社」 

 佐伯市蒲江は大分県の最南端に位置し、宮崎県と県境を分け合っています。そして、蛇腹の折り目が連なったような海岸線が続く中、ひときわ深く切り込まれた湾が、ここ入津湾です。
 この湾のほとり、蒲江 畑野浦に、神武天皇東征にまつわる伝承が残されている「伊勢本社(いせもとしゃ)」が鎮座されています。
 では、宮司の松木氏から提供していただいた神社資料を読んでみましょう。

キャプチャ 
上入津小学校に隣接しています。

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道路沿いに建つ、一の鳥居と参道

「伊勢本社とその沿革」
 それは遠い日本の黎明期、日向の国を旅立って東征の途につかれた神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと=神武天皇)は折からの風波を避けて曲(わだ)の浦(畑野浦)に舟泊まりされました。海神(あまびと=往時の住人)のもてなしを受けながら天候の回復を待つこと数日。やがて天候の回復とともに先住の若き海人を水先として東征の途につかれました。
(中略)
 伊勢本社は神武東征の最初の寄港地として御一行がお使いになられた水入れの古土器をご神体に神武天皇をお祀りしております。養老元年(西暦717年)元正天皇の御宇、時の郡領により社殿が造営されたと伝えられています。
(中略)
 昭和15年には、皇紀二千六百年記念として神武天皇御東征聖蹟地巡幸行事 (主催 宮崎県・関係府県等、後援 文部省(当時)) が盛大に執り行われ、畑野浦は御東征最初の寄港地として「おきよ丸」をお迎えすることができました。出発に際しては先例に即して地元の青年が大和樫原まで同行供奉致しました。
 「おきよ丸」は宮崎神宮の神官を奉じて往時の聖蹟の順路を忠実にたどり大和の樫原まで無事巡幸することができました。
(中略)
 大和の国草創の歴史に燦然と輝く神武天皇を祭神とする伊勢本社を奉祀する氏子として、敬神の赤き浄き誠を尽くし、ご神徳の高揚とご神威の発揚につとめたいと思います。
(前伊勢本社宮司編纂の同名文書より)

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二の鳥居と境内入り口

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拝殿と境内

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拝殿・申殿

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 入津湾入り口

 波、穏やかな入津湾を見守るように佇む伊勢本社。
 神武天皇率いる、皇船団が偲ばれるようですが、在野の神社考古学者 百嶋由一郎先生によれば、神武天皇東征の伝承は神日本磐余彦尊ご自身ではなく、(贈)崇神天皇(ハツクニシラス=ミマキ入彦)のエピソードであるとされています。ただ、神武天皇による御巡幸(西暦165年頃)はあったようですが、コースとしては、西九州を北上し、東北地方まで訪れているようです。

 ところが、念のため、神社明細帳(明治期に作成された神社の台帳)で伊勢本社の祭神を確認したところ、ナント、金山彦尊(かなやまひこのみこと=カグツチ)が祀られているではないですか!
 金山彦尊は日本神話に登場する神で鉱山の神とされていますが、百嶋神社考古学では神武天応の親衛隊長であり、しかも、神武天皇のお后(アイラツ姫)の父でもあって、とても重要な人物なのです。

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神代系図 

 直ぐさま、松木宮司に電話で確認したところ、いつからか分からないが、金山彦尊は合祀されているのは間違いないとのことでした。
 いやはや、往古、神武天皇(神日本磐余彦尊)自らが天津神を奉られ、天気の回復と海路の平穏を祈られた場所がこの宮地だったのでしょうか!?
 
 そう言えば、神武天皇は、嵐が早く止むようにと浜に大きな1本の旗を突き刺したそうで、以降、この地は旗立の浜と呼ばれるようになったとのことです。
 また、大きな入り江や山々を眺め、この地方のリアス式の曲がりくねった入江の美しさに見とれて、美しき曲(わだ)の浦の地と言われたそうで、その後この地は、“わだのうら”と呼ばれ、訛って“はたのうら”となり、今の畑野浦となったという伝承が遺されています。
 
 また、神代文字の一種である豊国文字で書かれた古文書、「ウエツフミ」には、ここ入津湾には神武天皇率いる船団の軍事基地があったとも記載されているとか。
(ウエツフミとウガヤフキアエズ王朝の研究 http://ugaya.jimdo.com/)

 いずれにしても、東九州一帯に伝えられている神武伝承とその聖蹟とを、もう一度、丁寧に調査していく必要がありそうですね。

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皇船を繋いだと伝えられている岩々。




Posted on 2016/06/17 Fri. 22:18 [edit]

category: 日記・古代史

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