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ひとつあがりのカフェテラス

古代日本の真の姿が知りたくて、神社伝承を追い求めています。

27.アカル姫と比売語曽(ひめこそ)社(大分県姫島村) 

ひめこそ31 


【比売語曽社について日本歴史地名体系から】
 両瀬(ももせ)の明神様とよばれ、「姫島史」には「鉄漿村字両瀬の海岸にあり」と記される。祭神は比売許曾神で、同神は朝鮮南部の王子都怒我阿羅斯等(ツヌガノアラシト)の求めた女、新羅王の子・天之日矛アメノヒボコ)の妻、新羅王・波沙寝錦(ハサムキム)の妃、大己貴(オオナムチ)命の女・下照姫命、辛国気長大姫大目命などの諸説がある。
  (中略)
 神体は白石とも木像とも土偶ともいうが、婦人像と伝える。神殿背後の岸壁に元宮とよばれる洞窟がある。境内に含鉄炭酸水の拍子水が湧き赤水明神の別称も生じた。

 百嶋系図では、天之日矛メノヒボコスサノヲ素戔男尊)のことであり、さらに新羅の第9代王・昔(ソク)氏 伐休尼師今ばっきゅう にしきん)の太子「骨正」のことだとされています。
 この『スサノヲアメノヒボコ骨正』という解を導き出すためには、いろいろと難しい方程式を解いていく必要があるようですが、百嶋氏の資料の中に伐休尼師今について書かれているものがありました。

 「新羅第8代、阿達羅尼師今(あだつら にしきん)のAD154年時、延烏朗(よのらん)は49歳であったと思います。
 延烏朗はその後、倭国に呼び返されて、イザナギの名前で国生みの大業を成しとげられました。
 後々、韓土で先代が他界された折は、皆に推されて第9代の新羅王、伐休尼師今とおなりになりました。それはAD184年、彼79歳の折のことでした。
 イザナギの御祖父(新羅第4代)、脱解尼師今(だっかい にしきん)は元はタバナ国の王子でした。半島列島の多くの研究家は、熊本の「玉名」がそのタバナ国ではないかと考えています。
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     (出典:ウイキペディア(一部加工))

 13世紀末に高麗の高僧一然によって書かれた『三国遺事(さんごくいじ)』によると、阿達羅王四年(西暦157年)、新羅の東海岸で延烏朗(よのらん=伐休尼師今)が海藻を採っていると大きな岩が現れ、延烏朗を日本まで運んでいってしまったと記されています。そして、延烏朗を捜しに海岸にやってきた妻の細烏女(せおにょ)も同じように大きな岩に乗って日本にたどり着いたということです。後に夫婦は日本の国王・王妃となったと伝えられています。大きな岩とはおそらく頑丈な船のことだと思うのですが、それにしても実に興味深い説話ですね。

 百嶋氏の講演記録からです(「肥後翁のblog」から転載)。

 次に、アレキサンダーに追われて逃げてきたイスラエル人及びユダヤ人の集団です。
 その頃になると、威張りすぎていたイスラエルのほうは先に落ちぶれていまして、それに仕えていたユダヤ人のほうが勢力があったので、その頃はイスラエル・ユダヤ人ではなく、ユダヤ・イスラエル人に逆転しておりました。従って、アレキサンダーに追われた時の名前はユダヤ・イスラエルでした。別の名前はヘブライですけれども、その頃はもうあまり、はやりませんでした。
 とにかく、アレキサンダーに追われて、ペルシャの王様たちと一緒に中国へ逃げ込みました。そして、中国においても、どうもうまく現地の人と溶け込めない人たちは、逃げて逃げてちいぱっぱ、朝鮮半島を経由していっそのこと、日本という天国があるので日本まで逃げようかとなりました。また、古い人たちは海南島経由で日本に入ります。
 アレキサンダーに追われた正統派の渡ってきたルートは朝鮮半島経由です。
 そして、イザナギという人物が登場します。現地では「ユーラン」といわれる人物が、場所はですね、釜山の上のほうを地図でご覧になりますと、「コハン」というところ、韓国No1の製鉄所があるところです。
 ここに「ユーラン」を大きな磐(船)が日本へ連れ去ったという神話、コハン神話が残っています。これが日本で言うイザナギのミコトだと私は思っています。なお、イザナギのミコトはもとは日本人だったのです。あの人の何代か前は、日本人であって、日本時代はどこに住んでいたかというと熊本玉名がもっとも有力です。これは朝鮮の学者もそのイザナギスサノヲの親子の先祖が新羅の国に定住されるまでにいたタバナ国とは熊本の玉名ではないかと、どうもその線が強いと考えているようです。これがコハン神話です。
 このコハンに相当する新羅の国に、日本のオオヒルメムチアマテラスオオミカミ)が後々に手紙を出して、何とか日本を取り仕切ってくれないか、手伝いしてくれないかという依頼状を送られました。これが新羅本紀にはっきりと書いてあります。
 今、曽根台地にアマテラスたちをお守り申し上げて、後々九州王朝親衛隊の指揮官となった金山彦のところまでお話しました。それが九州王朝前夜の一部分です。

 
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 一方、スサノヲの妻・アカルヒメについては、ブログNo.2No.3No.4No.12でも触れていますが、新羅から但馬国(兵庫県)に入り、その後、大分県の姫島(比売語曽社:ひめこそしゃ)に移られ、国東半島を経て宇佐市安心院の妻垣神社に住まわれたということです。

 そんなことなどを思い返しながら、『大分神代史研究会』のメンバーとともに姫島の比売語曽社に伊美港からフェリーで向かったのは、昨年の夏のことでした。

 姫島港には約20分ほどで到着です。
 夏シーズンを迎えて人の行き来も多く、穏やかに活気づいている港。

 港では比売語曽社の江原宮司が忙しい中、出迎えてくれていました。江原宮司にはその後、島内を案内していただいたのですが、天気にも恵まれ、空と海の青いキャンバスに抱かれた美しい島の豊かな魅力をしっかり感じることができました。

火山が生み出した神秘の島「姫島」
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姫島港
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向こう岸には国東の山々
ひめこそ21 

 比売語曽社は、姫島の七不思議の1つ、「拍子水」の傍らに鎮座していて、「赤水名神」と呼ばれています。もちろん、この「赤」はアカル姫の「アカ」と関連があるのでしょう。

 また、比売語曽社の本殿裏には、海蝕洞のような岩の裂け目があり、そこには奥宮が鎮座しています。その奥宮の後方には古びた石が置かれていて、目を凝らすと、お姫様の姿のようにも見えます。それは実に神秘的な洞であり、神々しくもありました。

鳥居と拝殿
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拝殿内
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本殿
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本殿屋根に飾られている神紋「笹りんどう」
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本殿裏の奥宮
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奥宮の後方、洞の奥深くの石祠
ひめこそ24 


ひめこそ8 

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ひめこそ42 

境内のハート石(見つけると何か良いことがあるかも…)
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 江原宮司には、比売語曽社の後、宮司の本務社である大帯(おおたらし)八幡社にも案内していただきました。島民の産土の神として篤い信仰を受けている古社で、姫島の中央に鎮座していました。
 さらにまた今回、トレッキング参加者に、国東の神社179社が網羅されている「ふるさとの氏神さま~東国東支部~(大分県神社庁東国東支部神職会:平成28年3月発行)」を進呈していただき、一同大変、恐縮した次第です。

ふるさとの氏神 

 
 アカル姫はこの後、国東半島の奈多宮に遷られているようですが、そのことについてはまた、後日といたしましょう。

Posted on 2018/10/22 Mon. 22:30 [edit]

category: 日記・古代史

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